「ねーねぇがひとりっきりじゃさみしいっていうから、ぼくはずっといっしょにいてあげるっていったのに、これじゃあぼくがひとりっきりじゃないか!」

今日、仕事に行くためにりょうちゃんとばいばいする際、りょうちゃんが泣きながら叫んだ言葉です。
数日前、口内炎の塗薬が気になって唇をしゃぶるりょうちゃんに、「おくちチュッチュしてると悪者が来てさらわれちゃうよ〜。りょうがいなくなったらねーねぇ寂しいなぁ」と言って辞めるように諭した際、「ねーねぇはひとりっきりはいやなの?」と聞いてきたので、「うん、さみしくって泣いちゃうよ」と答えたら、「それじゃぁ、ぼくがず〜っといっしょにいてあげるね」と言ってぎゅうっと抱きしめてくれたのです。
それからぱったりと唇をしゃぶるのもやめ、口内炎も良くなったのですが、いたずらをしたりするたびに「ねーねぇはひとりっきりはいや?」のやりとりを繰り返したがりました。お気に入りの映画のシーンの再現をしたがるのはしょっちゅうなので(「モンスターズ・インク」のブーとサリーのやりとりなんて1日に何回も!)、そのノリだと思って付き合っていたのですが…。りょうちゃんなりの、愛情確認だったんですね。

もちろん本当にりょうちゃんをひとりにするわけではなく、ちゃんとらんちゃんに引き継いでお留守番なのですが、たまに「ねーねぇおしごとにいかないで」とぐずる日があります。ここ数日はほとんど毎日だったのですが、今日のこの台詞には胸を締め付けられました。

ばーばとは当然のことながら、私とりょうちゃんの絆もまた、一般の母子の間の絆のように深いと実感できます。というか、そうであるように接していました。ばーばも、じーじも、りょうちゃんの親戚も、友人も、りょうちゃんには惜しみない愛情を全力で与えることが必要だったのだと言ってくれます。
でも、お別れが近づいている今、私はいつか離れるのがわかっていたのだから、もっと違った接し方も考えなければならなかったのかもしれないとも思ってしまいます。
せめて幼稚園入園と同時だったならりょうちゃんの気もまぎれるのでしょうが、諸事情から急遽1年早まってお別れになってしまったのです。まぁ、もともと友人の実家でもあるし、ご近所なのでいつでも会えるのですが、今までのように毎日日中を一緒に過ごすというわけにはいきません。これからはばーばが一緒にいてくれるので、ねーねぇのことは忘れてしまうくらいがいいのかもしれないです。

私にとって、りょうちゃんとのこの2年半は人生観を揺らがせるほどの大きな経験でした。りょうちゃんがいることが日常となってしまい、私のほうこそりょうのいない日々を受け入れられるのかどうか…
今までもお盆やお正月には1週間会えない日が続いたりしましたが、その間もりょうが帰ってきたら何をしよう、どこに行こうと考えてばかりでしたから。

とにかくあと半月、一緒に過ごす日々を大切にしたいと思います。

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